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自由に縛られない為に必要なこと

Reap

今回はちょっと哲学的な話をします。

Reko

自由に縛られる??

目次

人は自由で居続けることはそもそも出来ない

さて、私の長い長い年末年始休みもついに最終日となりました。今回は11連休もありました。世間的には4日から仕事開始の方も多かったことでしょう。業種によっては三箇日も関係なく働いていたことでしょう。羨ましいと思われる方がいてもおかしくありません。

私も昔は大晦日も元日も関係なく働いていたことがあるので、しっかり連休を取れる業種を羨ましいと思うこともありました。当時勤めていた会社では、携帯電話の販売店舗で数年間雇われ店長としてブラックな環境に耐え忍んでいましたので、本当にプライベートにおける自由な時間が少ないことを嘆いていました。

当時の職場に勤め続けることに疑問を感じ、転職を決意したのが20代の終わりの頃でした。詳細は省きますが、行動開始したことで今ではしっかり連休が確保出来る環境に身を置けている訳です。今の職場も決して暇ではありませんので、残業や休日出勤も少なくはありませんが、やはりこういった連休があるとメリハリも効いてきて、勝手なもので、渇望していたまともな休暇、プライベート時間も得られてしまえば、休みが長すぎて暇を持て余し、早く仕事始まってくれとさえ思えてしまうのです。

さて、貴方にとっての自由とは一体何でしょうか。好きなことだけしてればいい生活?平和に過ごせる毎日?何もしなくてもいい休日?働かなくても生活できる財力?仕事や家族に縛られない生活?独裁者?、色々な自由の形があるかと思います。では、貴方は思い浮かべる自由を手に入れたいと思いますか?或いは手に入れたとして、心の底から最大限に満足していますか?

結論を言うと、貴方は既に自由を手に入れていて、そして満足していないということです。つまり、こんな辺境のブログの文章を見ている暇がある時点で貴方には十二分に自由が得られており、そしてそれが何の変哲もない出来事になっているということです。つまりは選択の自由を行使している訳です。自由を奪われた人はそれすら出来ません。

自由に縛られるというのは、思い描く自由の形に縋り、自由であることを求めようとすることです。そんなことでは真の自由なんて得られませんし、そもそも、究極的には、人は皆、等しく死を迎えますから、命のタイムリミットがある時点で自由とは有限です。

自由を謳歌する為には

さて、では自由を謳歌する為には結局何が大切なのか。答えは簡単です。自分の欲望を大切にし、自分を満足させ続けること。その為に意地を張らないこと、そして他人に期待をしないこと、です。本来的に自分を満足させられるのは自分だけなのです。自分の行動の結果が全て自分に返ってくる。対価を支払うことでサービスを受ける。欲しい物が手に入る。その行動を妨げる可能性を持つのは自分自身の意地による妨害のみです。己が己を許せば行動は起こせます。

そして他人に期待しないこと。これは簡単に言えば、見返りを求めるな、ということです。例えば貴方がお人好しな性格で、他人に一方的に尽くすことに何のストレスも感じず、物事に怒りを感じないのであれば別ですが、世の中そんな聖人みたいな人間は殆どいません。せっかく何々してやったのに、恩知らずな奴だ、非常識な奴だと心の中で残念に思うだけです。

肝心なことは、自分自身の欲を満たす結果を追い求めることです。つまり、一方的な奉仕で終わればストレスでも、相手方に感謝され自分が気持ちが良くなれれば正解な訳です。契約や金が介在しないやり取りに責任は存在しませんので、貴方が先に無償で相手に奉仕するのであれば、見返りなど初めから期待はしないことです。それが自身の欲を守ります。

そして他人に期待をしないことに関してはもう一つあります。それは、他人の行動に期待して時を待つのではなく、自分から動かないと世界は広がらないということです。ただ変わらない毎日を漠然と過ごしていたって、物語の世界のように、貴方の人生を大きく変えるような人々との出会いは滅多に起こらないのです。犯罪や他人に一方的に迷惑をかける行いさえしなければ、一度きりの人生、自分をとことん満足させることに舵を切り、動き出す方が絶対に良いです。

私が考える真の意味での自由の謳歌とは、死ぬ間際に満足した気持ちで死ねることでしょう。北斗の拳のラオウのように、死に際に、我が生涯に一片の悔い無し、と思えればそれ以上のことはありません。

元日の更新時にも書きましたが、全ては自分自身の欲望を満たすことを第一に、そしてそれを維持できる環境を守るために、貴方が得られている自由な選択を上手に行使して、本年は是非満足の多い日々を過ごすことを目指しましょう。


Reap

常に自分自身を満足させよ。

Reko

心身を健康にね!

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